自分は本を一度しか読まない。たとえば極端な話、AとBという道があったとして、本を読んだことによって、その本の話なんか全然覚えていなくても、染み入ってさえいれば必ずどちらかを選ぶ。2通りってことはないし、わかるといっても感じだし正しいも誤りもない。でもそういう為に本はあると思う。これを書くために一度読んだ本をもう一回読んでみることにした。村上龍の1980年の作品コインロッカーベイビーズ、16歳辺りに初めて読んで、自分が一番影響を受けたような気がする本です。もう10年ぶりに読む、その印象は変わるだろうか。(これ以下本文から抜いてあります、物語の流れ部分ではないのでバレないとは思うけど注意、逆に抜粋を読んで惹かれたら、是非読んでみてください)

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キクの筋肉

 自分でもよくわからなかったのだが、静止が我慢ならなかったのだ。地面の上で動かずにいるのが不快でしようがなかった。自分のすぐ傍で何かが猛烈な速さで回転している。目が眩むスピードで光り輝きながらどこかへ飛び立とうとしている。その爆音で地面は常に微かに震えているのだ。一定の間隔で離陸しその度にキクは置いていかれた、とういう失望を味わう。


 キクは波打ち際まで歩き、濡れて硬い砂を踵で踏みつけた。最初は軽く踏み降ろしていたが、しだいに強く、踵の先がめり込むように砂に打ちつけた。キクはしゃがみ込んだ。両手を拡げクラウチングスタートの姿勢をとる。腰を上げ、息を止めた。 〜 ダーン!とハシが大声で叫んだ。キクは飛び出す。数歩先を走る予感の中の自分を追う抜こうと思った。硬い砂を右足が三回目に蹴った時だ。体が急に軽くなった。熱を孕む予感と溶け合った。 〜 包んでいた棘の殻が砕け散って、キクの筋肉は突然目覚めた。全身を巡っている熱はどこへも逃げていかずに、逆に足先から次々に新しくこみ上げてきた。 〜 手に入れたぞ、とキクは思った。ずっと外側にあって俺を怯えさせた巨大な金属の回転体、それを俺は自分の中についに手に入れたぞ、そう思った。

ハシの音楽

 自閉症には"豊かな自閉"と"貧しい自閉"の二種類があって、外界と切り離された患者の精神状況が空っぽ場合"貧しい"、豊かな精神世界がある場合、"豊かな自閉"とこう呼ぶのです。この溝内橋男はもちろん豊かな自閉です、このような想像力に満ちた作品を造るのですから。

 悪趣味である、こんな悪趣味なロック公演は初めてだ、家族の誰かが死んだ通夜で悪酔いしわけがわからないうちにはしゃぎ回り、その後で死ぬほど自己嫌悪に陥るのに似ている、公演は堕落していくようなリズム隊の演奏で始まりハシは長い長い節回しで恐ろしくゆっくりと四十年前のヒット曲、有楽町で逢いましょうや誰よりも君を愛すを歌う、全体的な音は冷たく打楽器は激しく打ち鳴らされる割にメトロノーム以上の役目を果たしていない、ハシはステージ上をグニャグニャと動き回る、太い革のベルトを持ってそれで空を打ちながら大音響の通夜を支配しようとする。 〜 昔、魔女裁判で拷問の一つに耳の穴から溶かした山羊の脂肉を注ぎ込むというのがあったそうだ、ハシの歌とバックの演奏は聴衆をそれに似た気分に追い込んでいく、リズム隊の疾走、ギターと電気サキソフォンの唸りを上げるユニゾンの間で、バンドネオンが吐気がするほどに哀調のある我々の最も恥ずかしい神経を舐め上げる旋律を奏でる、それは鉄の玉とダイナマイトと鋲打ち機で解体される高層ビルディングと猛スピードで車が行き交う立体交差叉の高速道路とに挟まれた細い道を、路地を、一人の老人に連れられた少年の乞食が帽子を差し出しながら歌って歩く光景を思い起こさせる、ハシは常にそのようにして歌い始める。

 僕はただみんなから好かれたいんだ、ハシと一緒だと心の底から幸福になると言われたいんだ、それだけなんだ、それ以外考えたとこがない、それなのに僕は捨てられた、広い広い広い広い広い広い広い広いコインロッカーの中に、みんなが僕を捨てた。

 結局、不必要ということなんだ、それにつきるんだ、ハシは酸の臭気に目を赤く腫らしながら言った。僕は自分は誰からも必要とされていないのを知っている、僕はずっと必要とされなかった、だから、他人を必要としない人間になろうと思ったんだ、でもねニヴァ、僕だけじゃなかったんだよ、必要とされる人間なんてどこにもいないんだよ、全部の人間は不必要なんだ、それがあんまり寂しかったから僕は病気になったんだ

アネモネの苛立

 そう、錯覚だ、あたしは蜃気楼をみている、そんなことはわかりきっている、でも飽きたのだ、水には飽き飽きした、うんざりして死にたくなるほど飽きた、砂を噛んで喉が裂け血が噴き出ても古い水を飲むよりはいい、退屈な時間が地表を被い太陽に熱せられる 〜 雨が一段落して何十倍にも膨れ上がった太陽がもう一度姿を現わした時、あたしはあの高い塔の屋上でガリバーと暮らしている、周囲は沼と原色の花と熱帯樹と吹き出る汗、熱病の人間達、他には何も望みはしない。

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 今読み終わった、印象は殆ど変わらなかった。文学というよりもっとストーリー的な(人間描写の濃い)映画的な、「小説」だという感じは新しく受けた、それも1980年に書いたとは思えない、センスだと思う(ペキンダック以外)。登場する東京のスラム薬島の描写は少ない、自分には想像力を掻き立てられ、その場所という曖昧な記憶が10年立っても残っていた。読んだ人の感想だからあまりベラベラ書くことないんだけど、10年前と同じシーンがやっぱり一番好きだった、ある〜所でキクがリレーを走る箇所、やっぱり奮えた。陸上もやったし、音楽もやったのでキクとハシには異常なほどに移入する。テーマは破壊、作者は幼児的ヒステリーと一緒にするなといっている、その心は今でも全然通じる、やっぱりまだ若いよな。
 この本を読んで少し経った時、村上龍を生で見ようと思って御茶ノ水の書店にサイン会にいったことがあった。確か自選小説集の発売記念だったかで。新宿駅の構造さえ掴めていない小僧が良く頑張って人に会いに行ったと思う。並んでいる人はOLとかが多くて少したじろいだ、緊張して何にも言葉が出なかったけど握手した手は分厚かったような気がする。その本はまだどっかに眠っているはず、自分にとって最初で最後の人のサインってやつだ、たぶん。