地中海船旅記

ジェノバ | ナポリ | パレルモ | ラグレット | マジョルカ | バルセロナ | マルセイユ | ジェノバ
▼ ジェノバ(2009/4/25〜26)
 決して羨望ではない、普段から憎憎しき恨みの目で見ていた車輪付き鞄(邪魔箱)も、出発日は他人の歩行の邪魔となった。飛行機は12時間超えの長丁場となったが映画3本連続で耐え凌いだ。(ベンジャミンバトン、レボリューショナリーロード、レイクビューテラス)出発時の日本も雨だったが、ジェノバで迎えた朝も雨だった。時差ぼけで午前4時に起きてしまうので(結局2週間この習慣は戻らなかったのだが)一人朝の散歩に出かける。母を訪ねて三千里の街、コロンブスの生まれた街でもある。この普段見慣れないヨーロッパの町並みに感動する、この街はなかなか思ってたよりもいいぞ。写真を何枚も撮ってしまう・・数日後にはこの新鮮味がすっかりなくなるが。正午前、バスの送迎により巨大戦艦に案内された。


ヴィットリア広場 ジェノバの家 ソプラナ門 フェッラーリ広場
ホテルから 船 船バルコニーから 朝ごはん
 


▼ ナポリとカプリ島(2009/4/27)
 翌日はナポリに到着した。やはり午前中にはひとり散歩に出かけた。港から歩いて15分ほどのところにある卵城はなかなか良いところだ。海沿いの道では昼真っからカプールがブチュブチュとイチャついている、仕事しろ。城内は無料だが、動くのか?と思わせる真暗エレベータなどもあり、結構景色が良いところまで連れて行ってくれる。ここからはヴェスヴィオ火山とナポリ湾が一望できる。
 午後は青の洞窟で有名なカプリ島に向かう。しかし、青の洞窟どころではないとんでもない船旅となった。確かに風は少し強いと思ったが、ナポリとカプリ島間を運行する小さめの船が出発したとたんトンでもない揺れが。1階席の前方に座ってしまったのが悪かったのか、落差3メートルはあろうかとゆう縦揺れ。子供達の絶叫と青くなる老人達、トイレに駆け込む人もいる。これが1時間続くのか?と一時絶望的になった。中盤はやや和らいだものの揺れが内臓を揺さぶる、限界だ。ギリギリ到着。あと20分乗ってたら吐いただろう。カプリ島は素晴らしいところだった、しかし帰りの船のことが心の片隅からはなれない。アナカプリ地区の教会、カプリ地区のウンベルト1世広場、町並みを訪れた気がする。しかし今になって印象に残っているのはあの揺れ船だ。帰りの船、2階席後ろに座っていたせいか行きよりも吐気はなかった、鍛えられたのだろうか。そんなことどうだっていい吐気島となった。


イスキア島 ナポリ港 ブブリチ公園フットサルコート 卵城
卵城 卵城 卵城 カプリ島
カプリ島 アナカプリ地区 アナカプリ地区 カプリ地区



▼ パレルモ(2009/4/28)
 パレルモはマフィアで有名なシチリア島最大の都市だ。シチリアはイスラム支配の歴史もあり、欧州風の建物に加えてイスラム要素が混ざっている感じがある。いや、逆かも。この街で唯一下調べしたスポットがカプチン会修道士のカタコンベ(墓地)だ。パリの白骨があるカタコンベが有名だが、パレルモのカタコンベは8千体以上の白骨化していない人達が眠っている。入口が小さく見逃してしまいそうだったが、パニーニをくわえた爺さんが聞いてもいないのに道を教えてくれた。薄暗く冷気の漂う地下では身体は異臭を放たない。白骨化したものや肉皮のあるものまで多種多様に着飾っている。なかでも1920年に亡くなった少女ロザリアの遺体は殆ど姿が変わらずに残っている。何故かはわからない。内部の写真は撮っていない、どうやっても死者が写るから。カタコンベ徘徊後、パレルモのメジャーな建物(パラティーナ礼拝堂、カスィードラル、マッシモ劇場、プトレーリア広場、バッラロの市場)を横目に帰船。この街、今回行った都市の中で一番車の運転/駐車が酷かった。基本的に信号を守らない、赤でも進んでくる、歩行者がいれば避ける、といった具合だ。そんなに早く進んでもろくな事しないくせに。悔い改めよ。


朝 建物 建物 教会
カタコンベ入口 ロザリア カタコンベ カテドラーレ
カテドラーレ クアットロ・カンティ マッシモ劇場



▼ カルタゴとシディブサイド(2009/4/29)
 中学か高校の頃、藤井フミヤがチュニジアを訪れる特番があった。それ以来行ってみたいと思っていたのだが、この為に今回のコースを選んだとも言える。本当はこの国だけで3日ほど滞在して南の砂漠の方まで行ってみたかった。今回訪れたのは首都チュニスの北の地中海に面した街だけだった。寄港地ラ・グレットからカルタゴを経由し、シディ・ブ・サイドという白と青に統一された家々の連なる街が見えてくる。メイン通りを進むと土産物屋が数をなし、突き当たりには名物の喫茶店カフェ・デ・ナットの階段が見えてくる。しかし、ここには入らずに白壁の家々の通りを更に進み、地中海の眺めが素晴らしいカフェ・シディ・シャバーンにたどり着く。この眺望は写真を見てください。メニューがなく、促されるままカフェオレ2つ頼んだら勝手にクリームの入ったクロワッサンが付いてきた。日本人価格ではあるが、この場所に来れた事に払うには安いものだ。カフェから引き返し、土産物を物色する。この街のモチーフである白壁と青扉の置物でも買おうと値段を聞くと30ユーロという。高けぇというと、おいおいまじかよ、こいつぁ木製だぜ、安いのはそこの石で出来たのだ、と言う。木の価値が高いのだろうか?5ユーロの石製の置物を買った。その後、シディ・ブ・サイドから南に戻り、古代都市カルタゴの遺跡を見物した。古代カルタゴの港、ラ・マルガの貯水池、ピュルサの丘、カルタゴ博物館、アントニヌスの共同浴場。アントニヌスの共同浴場はスーパー銭湯みたいなもんだろうか?これぞ遺跡という感じで背景の地中海も映えている。チュニジアはやっぱり良かった。ヨーロッパの都市を訪れるよりも断然楽しい。とすればこの旅は7/8は失敗か?


チュニジアの朝 チュニジアの朝 チュニジアの朝 らくだ
花 モスク チュニジアTGM チュニジアTGM線路
シディ・ブ・サイド シディ・ブ・サイド カフェ・デ・ナット シディ・ブ・サイド
シディ・ブ・サイド シディ・ブ・サイド カフェ・シディ・シャバーン カフェ・シディ・シャバーン
カフェ・シディ・シャバーン カフェ・シディ・シャバーン カフェ・シディ・シャバーン シディ・ブ・サイド
アントニヌスの共同浴場 アントニヌスの共同浴場 カルタゴ博物館 ピュルサの丘、校庭のサッカー



  ▼ マジョルカ(2009/4/30)
 大久保が数年前に移籍したスペインリーグのクラブチームによって日本でもマヨルカ島が有名になったと思われる。ヒッピー文化の残る(クラブ文化だっけ?)イビサ島もあるスペインバルアレス諸島最大の島だ。ヨーロッパではドイツ人などのバカンスの場所として観光が発達している。この島の中心都市、パルマ・デ・マヨルカに近づくにつれて一番先に目に入ってくるのが海沿いにそびえるカスィードラルだろう。正則に習い、カスィードラルと発音しているが地元タクシーでも通じたので間違いないだろう、(イギリスのドゥームメタルバンド)でかい教会、大聖堂のことだ。これまでの都市の著名な建物は「いいな」ぐらいにしか感じなかったが、ここを訪れれば「すげえな」くらいに感じる出来栄えになっている。外観も良いのだが、内側も更によい。ステンドガラス、支柱、高い天井、何よりこの空間。有名なガウディの天蓋はその一部の要素だけだ。メインの祭壇だけではなく、その他のパーツに至まで完璧に仕上げられている。1300年から300年余りをかけて1601年に完成したらしい素晴らしい作品だ。内部は写真禁止なので撮らなかった。
 マヨルカ島では大聖堂以外にソイェールという田舎町への鉄道旅行を独自に計画していた。カスィードラルからパルマ駅方面に歩く。周辺は車が通れない程の細道が迷路のように入り組んでいる。土産物屋以外にもお洒落っぽいモダンな服店も点在しており、今までの都市との違いが分かる。車が歩行者に道を譲ってくれたのも初めてだった。ソーイェル行きの鉄道は、1912年から開通時のまま木製のレトロな列車が現在も運行している。列車は山道を1時間ほどかけて走るが、車窓からはアーモンド畑、トンネル、山岳地の町、野生動物などの姿が見えていとをかし。世界の車窓でもこんなに良い回はなかなかないだろう。到着したソーイェルの街はチンチン電車が走っている普通の田舎町で何にもないところだ。駅のフリーギャラリーにはピカソとミロ作品を飾る2館が開いていた。パルマ市への終電が17:30ということもあり、1時間あまりの滞在の後に木製列車で戻る事にした。
 この日の夜飯は船の料理に飽きたのでパエリアを求めて外食することに。パエリアの本場はバレンシアだが、ここマジョルカでもバルセロナでもどこでも食える。しかし出てきたのは皿に乗せたものでフライパンに乗せたまま出せよ、と憤った。まぁまぁ美味しい。こんなもんだろう。


カテドラル カテドラル カテドラル カテドラル
ソーイェル鉄道 ソーイェル鉄道 ソーイェル鉄道 ソーイェル鉄道
ソーイェル駅 ソーイェル ソーイェル ソーイェル



▼ バルセロナ(2009/5/1)
 当初バルセロナ郊外にある山岳地の修道院モンセラートを訪れる予定であったが、3000人中8人しか応募者がいなかったらしく中止となった。そこでバルセロナの街を散策することにした。とりあえずサグラダファミリアを見て、ちょっと中に入れればいいくらいの散歩だ。やはり街中を歩いていてもあまりにも新鮮味に欠ける。地下鉄は東京よりも遥かに分かりやすくなっている。切符はどこまで行っても料金一律、しかし出る時に回収されないので不要な紙が付きまとう。サグラダ・ファミリア駅から地上に出るとすぐにその建造物が目に入る。思っていた2/3の大きさだった、もっとデカイのかと思っていた。20分ほど列に並び入場、11ユーロ。1882年着工から現在も進行中の為、内部にあまり見るべきものはなく、ステンドグラスと工事現場のようなものがみえるだけだった。これは建築というのだろうか、彫刻じゃないのか?ここバルセロナにはグエル公園、カサ・バトリョ、カサ・ミラなどのガウディが出かげた作品が多く見られる。土産物屋のトカゲ型オブジェ(グエル公園にあるもの)を見ていて、ガウディってそんなにいいか?と思い始めた。見る人の99%が、ああガウディだ、良いものなんだ、となってはいないか?バルセロナの観光資源を否定しないし、ピカソは良いと思うが。なぜこんなにバルセロナを批判しているのだろう、確かに今年はチェルシーに勝って欲しい気持ちはあったが。ピカソ美術館はメーデーで休館だったらしい。


ピカソの壁画 サグラダファミリア サグラダファミリア サグラダファミリア
サグラダファミリア 御誕生のファサード サグラダファミリア バルセロナの海


▼ マルセイユとフリウル島(2009/5/2)
 日独伊は好きだ、仏はあまり・・この思いが通じたのだろうか到着早々に200ユーロ入りの財布をスラれた。ぼけっとしていたのだ。マルセイユの盗人にメッセージを送っておこう。「A` un pickpocket de Marseille. 200 euros que vous avez obtenu sont dans une certaine mesure papier pre'cieux aujourd'hui.Cependant, il y a une chose plus pre'cieuse dans la vie.C'est de la viande.Lorsque j'ai 200 euros au Japon, je peux satisfaire dans une certaine mesure des amis a` une boucherie frite.L'usage est libre, mais l'utilise pour pre'sage du corps conside'rable par tous les moyens.」(yahoo翻訳直通し)「フランス人」といえばピエールとかミシェルとか鼻の高いヒョロイ金髪の白人だがそんな人間はいるのだろうか?いなかった。サッカーフランス代表はアフリカのチームのようだ。マルセイユはジダンの出身地で、ドログバや中田浩二が在籍した事もあるクラブがある港町。海沿いには海産物の朝市が沢山出ており、今までで一番港街っぽかった。そしてカモメが多い。地元のクラブチームのユニフォームを着るのはよくある光景だが、マルセイユはその数が圧倒的に多かった。白と水色で着やすい色だからだろうか?今日はナイトゲームなのでまだ時間はあるが。マルセイユの港からすぐに小型の船に乗り、隣のフリウル島に移動してみた。途中にある小さなイフ島(イフ城という元監獄の城があるだけの島)を通りすぎ、約15分で到着。カプリ島のおかげで15分ならどんな揺れでも耐えられる自信がついている。到着した島は数件のレストランとル・カランク(本当のカランクはマルセイユからカシの間の海沿いだろうか)という綺麗な入り江が点在する綺麗だが荒涼とした小さな島だった。この旅初めての探検魂に心が躍る。連なる白い岩山の頂上へダッシュで上っていくとカモメの長が糞を垂れ流しながらひどく驚いた様子で飛び立った。よほど驚いたのだろう、俺の周りを旋回し、時折めがけて攻撃してくる。鶏肉のくせにと、棒でコロス、という気持ちになったが、もし大量のカモメが一度に襲ってきたら痒そうなので一度低いところまで降りて別の(正規の)道で再び高いところに上った。フリウル島の高い位置から見る景色もなかなか良い。マルセイユの景色と山部に建つノートルダム聖堂もはっきりと見える。この島に過去何があったのかは知らないが、城の跡地のようになっている残骸が見える。残骸の支柱のうち、全ての柱上部が十字架になっている奇妙なものも見つけた。これはなんだろうか。意図的な物体ならなかなか粋なものだ。港に戻り昼飯。マルセイユはブイヤベースで有名だが、名前が思い出せなかった。適当に頼んだファストフードがこの旅一番の美味しい食品だった。海産物が沢山入った炊き込みご飯?とイカリング。米はやっぱりいいよな。


サント・マリー・マジョール大聖堂 サント・マリー・マジョール大聖堂 フェリーから イフ島
フリウル島 フリウル島 フリウル島 フリウル島カランク
襲うカモメ フリウル島 フリウル島 フリウル島カランク
フリウル島 フリウル島 フリウル島 飯



▼ ジェノバ(2009/5/3〜4)
 再びジェノバに帰ってきた。スペインで感染し、発症した相方の為にマルコ少年の気分でスーパーの食品を探すが、日曜日の昼なので殆ど店が開いていない。そもそもスーパーのようなものはこの街には殆ど存在していない。2時間半はや歩きで歩き、ジェノバの地理は殆ど覚えた。ホテル近くのブリニョーレ駅から大通りを港まで抜け、海沿いをプリンチペ駅まで歩く。この間中国上海(兼アフリカ)物産店などもあったが店が異臭を放っており断念。そこからバルビ通り、世界遺産のガリバルディ通りを経由してもう何千里歩いただろう。結局スーパー何てものはなかった。お土産を買う予定のジェノアショップも閉まっていた。この最終日、地元ジェノバのチーム「ジェノア」と「サンプドリア」のダービーマッチで街は盛り上がっていた。"ジェノア"は"ジェノバ"の英語名で、その名の通り英国人が1893年に創ったイタリア最古のクラブだ。カズが日本人初のセリアA登録選手として移籍したのもこのチームだった。一方サンプドリアは1946年に創設されたかなり新しいクラブだ。柳沢敦が所属していた時期もあるが、ミハイロヴィッチ、フリット、クリンスマンなどのビッグネームが在籍していた時期もある。サンプドリアサポがジェノアサポを歌で挑発するシーンが何度も見られた。サンプドリアの方がガラが悪いようだ。今期ジェノアは欧州チャンピオンズ・リーグ出場権内の4位に近づいており、かつ100回目の記念ダービーらしく盛り上がりにも拍車がかかる。結局、当日券も余っていないらしく観戦は断念した。中華料理を食べて(久しぶりの白米1ユーロ)、ホテルのテレビで船で貰ったシャンパンを飲みながら、すぐ近くでやっているダービーを観戦した。試合はアルゼンチン人ディエゴ・ミリートのハットトリックでジェノアの勝ち。どうせならカターニャがジェノバに来て森本が来てたら絶対に観に行ったんだが。知らん街のダービーに感情移入も出来なったわけだ。
帰国から2日後、今度は自分が発症した。(続く)

ガリバルディ通り ジェノアフラッグ サンプドリアタオマフ ジェノベーゼ